山に行くと何時も雨が降っている

(芸事に限れば)怖い人が好き

多分2年前の大晦日だと思うけど、実家で紅白歌合戦を見ていた。大晦日というか年末というのが僕は好きで、今年はどうせ終わってしまうんだからもういいや、というようなあけっぴろげな気持ちになれるのがなんとも楽しい(責任ある大人はそんなこと思わないような気もする)。とにかく、そんな年末の雰囲気に乗じて僕はしたたかに酔っており、まさに今紅白に出ているあいみょんがあまり好きになれない話を家族にしていた。その時、母からマジレスが飛んできた「あんた、カネコアヤノは好きらしいけどあいみょんは嫌いなの、なんで」。なぜだろうか。

人から音楽をもらうことについて

春。街に梅と水仙、湿気の匂いが立ち込め、気もそぞろで落ち着かない。あまりのことに冬の間は情緒が死んでいたのではないかとすら思う。 随分更新していなかった。思いつきで始めた書きものは三日と続かないのが常だが、こうして三年ぶりに開く気になるときもまたくるので不思議である。

含羞の袋小路

尾形亀之助という詩人が好きだ。誰かの文章を読んで、両手を挙げて全面的に支持したくなったのはこの人が初めてであった。亀之助は含羞の人である。含羞といっても、太宰の様にそれを前面に打ち出し過剰なサービスで読者を襲うのではない(「道化の華」のあれは女を殺してしまったことへの贖罪であり、ただ殺したという事実をそのままに書いたとんでもない甘えだと、五味康祐が書いていたことを思い出した。「太宰治 贖罪の完成」『生きるかなしみ』山田太一編 ちくま文庫)。ただ、直截な物言いを恥じ、すべての言葉を何か黄色い靄で包んでしまう。

群衆に浴みする

東京が好きだ、とこのひと月ひしひしと感じた。といっても、決して僕が都会的にファッショナブルだ、と言っている訳ではない。自分の略歴について書けば、幼年期を福井で、少年期以降をまだ商店街の元気な東京の下町で過ごした、ということになるだろう。中学校に入って一人で出かけるようになってからというもの、知らない街で多くの知らない人を横目に散歩することが自分の大きな楽しみの一つだった。

はじめに

今日も一日湿っぽい。百舌鳥のつがいが低く飛んで藪へ消えた。

コロナ禍で在宅作業になってから一月ほど経つ。最近、上司とテレビ電話で打ち合わせをする際に長話をすることが増えた気がする。そもそも人付き合いのかなり悪い方だからあまり心配していなかったものの、つい長話をしてしまっている。ああ、これは良くないなと思って何か書くことにした。