(芸事に限れば)怖い人が好き

多分2年前の大晦日だと思うけど、実家で紅白歌合戦を見ていた。大晦日というか年末というのが僕は好きで、今年はどうせ終わってしまうんだからもういいや、というようなあけっぴろげな気持ちになれるのがなんとも楽しい(責任ある大人はそんなこと思わないような気もする)。とにかく、そんな年末の雰囲気に乗じて僕はしたたかに酔っており、まさに今紅白に出ているあいみょんがあまり好きになれない話を家族にしていた。その時、母からマジレスが飛んできた「あんた、カネコアヤノは好きらしいけどあいみょんは嫌いなの、なんで」。なぜだろうか。

その時は「あいみょんはいかにもありそうな悩みに寄り添っている感じがして得意じゃない」というような話を苦し紛れにした気がするが、これを敷衍して考えると芸事全般に関して自分が何に惹かれるかわかるような気がする。端的に言えば、僕は(このエクスキューズは極めて重要!)芸事に関しては、怖い人、自分にはわかり得ないような狂気を孕んでいる人のことしか好きになれない。

あいみょんのこと、ぶっちゃけよく知らないのでかなり間違った話なのだと思うけど、やっぱり歌詞を見た時に引っかかるポイントが全くない。おとぎなばしにはならない程度の、程よい等身大の悩み、…で?

それに比べてカネコアヤノはどうか。

犬達 走る吠える 草むらの上
唾液だらけのボール 宝物だね
夢にだけ出てきたわ
執着心は醜くなんかないわ
身体が素直なだけさ
『眠れない』より

初めの二行はなんというか平和な感じがする。犬もその平和に馴染んで和み、こちらを垂れ目で見ながらハアハア言っているのが聞こえるようだ。しかし、3行目以降を見てみると、唾液だらけになったボールとそれを追いかける犬、というのがいきなり私の執着心の話に置き換わり、それに対して「身体が素直なだけさ」という身も蓋もない結論で終わる。私も(空想上の装置としての)犬も身体レベルの執着心という意味では同じだったのだ。改めて考えるとそんな気もする。初めて聞いた時には、この人は本当にぞっとする人だと思った。

芸事、という視点で見ると、同じことが演芸にも当てはまるかもしれない。僕は寄席演芸はそれほど詳しくないけど、それでもこの人は、というふうに考えると真っ先に柳家喬太郎師匠が好きだ。喬太郎師匠は新作落語や古典のアレンジも含めて多彩に活躍する落語家で、高座では落語家のダメっぽさを全面に押し出したお茶目なキャラが人気を博している感があるが、昔からなんとなく怖い印象を持っていた。一般的には親しみやすい爆笑系の落語家という感じになのだろうが、どこか「芸人の俺とお前らは根本的に違うんだぞ」と言わんばかりの迫力がある。アーカイブだったかライブだったか覚えてないけれど、マクラで泥酔した時の落語家のモノマネ(ご自身のこと、という設定だったかも)として

「デェっす…ボクはもうダメデェっす…今日も落語がうっけませんでした!!ピャ!!」

というのをやっており、これは普通に考えたらただのギャグなんだけど、本当にそれどころではない迫力を感じた。なんというか、そのままジョーカーよろしく大量殺人鬼にでもなってしまいそうな、洒落にできない緊迫感がそこにはあった。

そういえば昔、神田伯山先生のラジオを聴いていた際に、伯山先生が喬太郎師匠について触れいている回があった。そこでは、喬太郎師匠と講演に行った際に喬太郎師匠はとても優しかったけど、実はあの人は本当に芸に厳しくて、中途半端な(寄席ではない)芸人が「多才な俺は落語もできちゃいます」と言ってしまうようなものを絶対に許さないような狂気を孕んでいる、という話がされていたと思う。これは本当のことだと思う。

以下個人的な話にはなるが、僕は喬太郎師匠を見るたびに、「私はxx学と結婚したから」と公言するような僕の某知人と似ているな、と思っていた。それは当然顔や話し方のせいではあるんだけれど、やはり自身が決めたフィールドに対する強い身体的な執着がその雰囲気を生み出しているのかも、と思ったりもする。